福岡高等裁判所 昭和61年(行コ)7号 判決 1988年1月28日
原告 江田千鶴子
被告 日田労働基準監督署長
代理人 中野昌治 北川益雄 ほか四名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取消す。
2 被控訴人が昭和五六年六月二九日付で控訴人に対してなした労働者災害補償保険法(以下「労災法」という。)に基づく遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の決定(以下「本件不支給決定」という。)を取消す。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文同旨
第二当事者の主張
当事者の主張は次のとおり付加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
(控訴人の主張)
一 亡江田秋仁は労働者である。
1 亡江田秋仁(以下「亡江田」という。)は造材作業においては労働者そのものである。
(一) 亡江田とそのグループは集運材作業のほかに造材(玉切り。以下「玉切り」という。)作業を行つた。すなわち、山林作業は、伐木をし、その木を現場で集材し、さらにトラツクに載せる場所(トラツク掛)まで運材した上、そこで玉切りする作業が含まれるところ、亡江田とそのグループは右のうち集運材作業と玉切作業とを担当した。亡江田は右の玉切作業について梶原製材所を経営する梶原善一(以下「梶原」という。)から派遣された今津綱敏(以下「今津」という。)の具体的指揮監督のもとにこれに当つた。玉切作業は玉切りの仕方によつて材木の商品価値を決するほど重要な作業であり、製材業者が厳重な指揮監督を行うのは当然である。
(二) 亡江田は玉切作業に自己の所有するチエンソーを使用した。チエンソーは集運材作業に使用する高価な機械と異なつて手工具的な小さな機械であり、その使用が亡江田の従属労働と相容れないものではない。しかも右チエンソーの油代は梶原が負担した。
(三) 作業員に対する賃金の支払は、右作業員から要求のあるつど梶原において今津を介して直接当該作業員に交付していた。このような賃金の支払方法は請負では説明し切れないものである。
(四) 以上のとおり、亡江田は玉切作業に関して仕事の完成を目的に請負契約を結んだものではなく、今津の指揮監督のもとに従属労働に従事したものであり、しかもその作業に使用したチエンソーの油代は梶原が負担し、亡江田のグループ員に対する賃金の支払も梶原がするなど、玉切作業に限つてみれば亡江田は梶原に対する関係で「支配従属関係」にあり、まさしく「労働者」そのものである。
2 亡江田は全作業において労働者である。
(一) 亡江田は玉切作業で労働者と認められる以上、その契約した山林作業全体について労働者である。玉切作業では労働者であるが集運材作業では請負である、という判断はありえない。
(二) 亡江田は集運材作業においても梶原の指揮監督下にあつた。すなわち、集運材作業に関して、梶原は、集運材用の架線設置位置及び張り方、集運材の方法、順序、終了時期について決定、指示するほか、搬出路の道あけ(他人の山を通つたり、他人の土地を借りたり、他人の立木を切り開かせてもらうといつた作業)、集運材作業中に発生する第三者との間の紛争解決、集運材作業従事中の労働者の管理(たとえば宿泊地での付近住民とのトラブルの防止、交通事故の処理等)などに責任を持つのであり、亡江田は製材業者である右梶原に従属した立場で集運材作業を行つた。
(三) 亡江田の所有する集材機は高価なものではなかつた。
(四) 一人の山仙頭がある山の仕事では事業主として請負とみられる作業形態をとり、次の山では同輩者中の第一人者的地位(すなわち労働者性を持つ)に立つことを見落してはならない。本件では、亡江田は日田市森林組合の作業では請負として(すなわち事業主として)作業を行い、梶原製材所では同輩者中の第一人者として作業をしていた。亡江田が事業税を納めていたからといつて、直ちに本件集運材作業について労働者性を失うものではない。
(五) 請負か労働者かの判断基準を製材所が機械を借りているかどうか、すなわち油代を製材所が負担しているかどうか(負担していれば労働者、負担していなければ請負)というささいな外形的事実に求めることは極めて不当である。従前、労働基準監督署は、製材業者が支払う労災保険料(掛金)の決定について機械を所有して集運材作業を行う者への支払高の何割かを労働賃金、その他を油代等の機械消耗料として申告をさせ、右の労賃部分について支払保険料額を決定するという方法をとつていた。これは出来高一括払の場合にはその総額の中に経費が含まれること、すなわち油代その他の諸経費を製材所が負担することを監督署自身が認めていたことを意味するものであり、前記判断基準は重大な自己矛盾である。
(六) 以上のとおり、亡江田の作業全体についても、同人は梶原の支配下、従属下にあつたものである。
二 本件不支給決定は正義、公平に反する。
1 本件における亡江田の山仙頭としての契約内容と仕事のやり方は、通常製材業者と山仙頭が行つていたそれと何ら変わりなく、しかもそれは永年にわたつて行われてきたとおりのものであつた。このような作業形態においては、製材業者が労災保険に加入し、労働者の補償を確保すべきことはすべての当事者にとつて当然の常識となつていたし、それが労働基準監督署の指導内容でもあつた。これを請負の場合には山仙頭が保険加入を行うべきだとする判断に立つたのは、まさに労働基準監督署の一方的な判断の変更に過ぎない。
2 この一方的な判断変更は製材業者、山仙頭らに何ら実効性のある指導を行わないままなされており、梶原、亡江田は右判断変更を知る由もなかつた。被控訴人が右判断変更を関係当事者に事前に周知徹底させることは容易にできたはずである。にも拘らず、かかる周知徹底の方法をとらず保険料だけを永年受け取り続けた被控訴人の態度は、梶原ら製材業者及び亡江田らを欺罔する詐欺商法にも匹適するものであり、本件不支給決定は社会正義に反し、公平の原則に反する。
(被控訴人の反論)
一 亡江田の「労働者」性について
1 玉切作業について
本件作業のうち、玉切作業は伐木関係とともに亡江田の紹介した川村勝亀及び古沢盛次のグループが梶原から請け負つた。右玉切と伐木はともに木材切断という面で共通の作業形態であり、その使用工具もチエンソーという共通の工具であつて、両者一括しての作業が通常の形態である。一方、亡江田は玉切作業には従事しておらず、仮に従事することがあつたとしてもそれは集運材作業の合間に梶原から玉切作業のため派遣された今津の仕事を手伝う程度の、いわば同人の指揮監督を受けることのない類いの作業に過ぎなかつた。亡江田は少なくとも集運材作業について梶原の指揮監督を受けることはなかつた。
2 山仙頭の地位の多様性について
同一人の山仙頭がある山の仕事では事業主として請負とみられる作業形態をとり、次の山では旧来どおりの同輩者中の第一人者的地位(すなわち労働者性をもつ)に立つことは論理的には成り立ち得よう。しかし、高額の機械類を所有し事業税まで納付して原則的には事業者としての立場にある者が特定の作業においてのみ労働者となることは例外的な事態であり、その認定には明確な証拠を必要とするところ、本件においてはかかる明確な証拠は見当らない。かえつて、亡江田は、昭和四二年頃古河製材所の仕事にほぼ専従として従事し、当時グループ員の賃金は同製材所が直接支払う形式であつたが、その後同製材所から機械類の払下げを受け、さらにその機械を更新し、その間機械類更新のためグループ員に対する配分を二割程減額したりしたこともあつたが、次第に他の製材所の仕事もするようになつて独立性を強めていつたのであり、右亡江田は山仙頭変遷の一つのコースである独立事業主化のコースを辿つた。
3 賃金の支払について
亡江田は梶原との間に作業場所、作業範囲、作業内容、完成時期及び対価等は定めたものの、作業単価、出星(これは出来高払賃金を計算するのに必須の要件である。)は定めておらず、亡江田が梶原から出来高払により受領した金員は賃金ではない。亡江田は梶原から受領した右金員の中からグループ員に対する賃金を支払つており、グループ員も梶原ではなく亡江田を雇用主と考え同人から賃金を受領していた。亡江田の死亡後、梶原は亡江田のグループ員と新たに賃金を定めているが、仮に亡江田を含むグループ員全員が梶原に雇用されているのであれば、このような賃金の取り決めを新たにする必要はなかつたはずである。
4 経費負担について
亡江田が引き受けた本件作業は集材、運材関係の作業であり、仮に玉切関係の作業に従事することがあつたとしても、前記のとおり手伝い程度の作業であつたから、梶原が玉切関係の油代を負担していたからといつて、本件集運材作業における経費をも負担していたものとみるのは本末転倒である。亡江田は集運材作業に関して仕事の完成を目的とした請負契約を締結し、請負者として自から右集運材作業の完成に伴う油代等の諸経費を負担しながら右請負作業を行つていたものである。
二 控訴人は、被控訴人の行政指導に従つて梶原が永年輩下の労働者の労災保険加入手続、保険料(掛金)の支払等をなしていたのであり、亡江田についても梶原がその保険料を支払つていたから、同人について労災保険給付をしないのは著しく不当である旨主張する。しかしながらこの主張は労災保険制度を正解しない主張である。
1 労災保険関係の成立
労災保険は「労働者を使用する事業」に適用され(労災法三条)、その保険料は事業主負担とされる。労災保険の加入手続は他の社会保険のように個々の被保険者ごとに保険加入させるのではなく、事業場ごとに事業場ぐるみで加入することとされ(同法三条、労働保険の保険料の徴収に関する法律(以下「徴収法」という。)三条)、その事業の労働者が労働災害を被つた場合には当該労働者又は遺族に対して保険給付がなされる(労災法七条)。従つてある事業主が保険料納付義務など労災保険上の種々の義務を負うかどうか、被災労働者やその遺族が労災保険給付を受けることができるかどうかは、その事業に労災保険関係が成立しているかどうかにかかつている。右の保険関係の成立は理論上労災保険適用事業にあつては、事業が開始された日又は適用事業に該当することとなつた日に特別の手続を必要とすることなく自動的に成立する。ただ実際には自動的に成立する保険関係を政府と事業主が知らなければ保険事務は進行しないため、労災保険では保険関係の成否の確認のため保険関係が成立したときは事業主はその翌日から一〇日以内に保険関係成立届を労働基準監督署長に提出するよう義務づけられている(徴収法施行規則六八条)。この加入、納付に関する諸手続はあくまで事業主の自主的な申告、納付による建前となつている(徴収法一五条)。
2 林業における具体的な労災保険加入手続
労災保険でいう林業とは立木の伐採、運材、造材等の事業その他の林業のすべてを指し(徴収法施行規則六条、一六条)、これらの事業が常時労働者を使用して行われる場合にはすべて労災保険の強制適用事業になる。しかして、右伐採、運材、造材等の作業はいずれも山又は場所において一定の期間行われるのが実情であり、林業の事業は概ね有期事業になる(徴収法七条二号)のであり、これら個々の現場ごとが一つの事業として労災保険の適用単位となる。小規模の立木伐採事業を次々に行う場合には一定の要件の下にそれぞれの伐採事業を一括し全体として一つの事業とみなし、原則として継続事業として取り扱うことになる(徴収法七条五号)。この一括扱いを受ける事業主は毎年度当初にその年度中に予想されるすべての小規模事業等についての概算保険料の報告をし、納付をする(徴収法一五条二項)。また毎月一〇日までに前月中に開始した事業について「一括有期事業開始届」を所轄監督署長に提出する(徴収法施行規則六条三項)。
3 本件において、林業における一括有期事業の開始届は梶原が行つた。同人は自らの雇用する労働者に亡江田を含ましめる認識を有していたようであるが、亡江田は労働者ではなかつたのであるから、この認識は誤つており、亡江田が労災保険の適用を希望するのであれば、自ら中小事業主として特別加入制度(労災法二七条ないし三一条。同制度は昭和四〇年一一月一日発足した。)を利用すべきであつた。
控訴人は、被控訴人においてこの誤つた梶原の認識を有期事業の開始届時における点検によつて正しく指導できるかのように主張するが、自主申告制を前提とし、かつ、本件の山林事業のようにその保険料が賃金総額ではなく、木材の材積数によつて算出される場合(徴収法一一条三項)には、この開始届においても労働者名簿は提出されないのであるから右点検は不可能である。亡江田のような山仙頭が梶原の被雇用者として賃金総額の計算の中に含まれているかどうかは、労災保険加入手続の段階では判断できず、保険給付の段階で初めて判断されることになる。
第三証拠 <略>
理由
一 当裁判所は、当審における新たな証拠調の結果を斟酌しても控訴人の本訴請求は理由がないものと判断するものであるが、その理由は次のとおり加除、訂正するほか原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決一〇枚目表九行目の「第五号証、」の後に「第一八号証、」を、同一〇行目の「第二七号証の各一、」の後に「乙第一六、第一七号証、第一九号証、原審」を加え、同一〇枚目裏一行目の「右証人」を「原審及び当審証人」に、同二行目の「同稲本」を「原審証人稲本」に改め、同行目の「瀬戸基彦」の後に「、当審証人石井要、同今津綱敏」を、同七行目の「立木の伐木、」の後に「玉切り、」をそれぞれ加える。
2 同一一枚目裏八行目、同一〇行目の「伐木、」の後にそれぞれ「玉切り、」を加え、同一二枚目裏三行目の「金五〇〇万円」を「一セツト金二五〇万円ないし三〇〇万円」と改め、同行目の「ただ、」の前に「亡江田は右集材機を複数セツト所有し、これを使用して、福岡県、大分県内で手広く集運材作業を専門に行つていた。」を加え、同四行目の「右機械」の後に「のうち一セツトの一部」を加える。
3 同一三枚目表二行目の「集材機を」の後に「複数セツト」を、同一三枚目裏二行目の「紹介を受けた」の後に「(梶原は、山林の伐採、集運材作業専門の従業員を雇入れていなかつた。)」を加え、同三行目の「杉、檜」から同四行目の「二五八本」までを「杉二七本、檜六二五八本、合計六二八五本」と改め、同四行目、同八行目の「集運材作業」の後にそれぞれ「及び玉切作業」を加える。
4 同一四枚目表一行目の「右作業は」から同三行目の「された。」までを次のとおり改める。
「 右作業は、主に伐採専門の二つのグループによつて伐採、枝打ちされた穂付丸太のままの檜材をトラツクの積込場所(トラツク掛)まで集材機を使つて集運材し(これを全幹集材という。)、さらに右トラツク掛で玉切りをする作業であり、このうち集運材作業については亡江田は自己の所有する集材機を用いてグループ員らを指揮監督してこれを行い、玉切作業については、トラツク掛に運ばれてきた穂付丸太の檜材が一日ないし数日でかなりの量となりこれが一定量に達すると、随時、梶原製材所から派遣された今津(同人は玉切りの熟練工であり集運材は専門外である。)が檜一本一本ごどに玉切りをする長さや歪んだ部分の除去等に関する指示をして右亡江田やそのグループ員らが右指示に従い同人ら所有のチエンソーで玉切作業を行つたが、その作業は作業員にとつては指示どおり丸太を切断するという単純なもので(もつとも、梶原にとつてはどこで切断するかは後記のとおり商品価値に影響するので重要である。)、しかもその作業は集運材の時間に比較すると極めて短時間であつて、亡江田が請けた本件山林作業の全体からみるといわば付随的な作業であつた。今津は昭和五五年八月一日以降本件災害発生日までの間、月のうち三日ないし半月位本件作業現場に派遣され本件災害発生当日も亡江田らのグループがなす集運材作業を手伝いながら災害現場に居合わせていた。」
5 同一四枚目表五行目の「<証拠略>」の前に「<証拠略>」を加える。
6 同一四枚目裏七行目の「(全幹集材)、順序、終了時期について決定、指示した。」を「(杉材については集材前に玉切りをし、檜材については、集材前に玉切りをして集運材作業をするとその作業途中に檜材に損傷を生じ、商品価値に重大な影響を及ぼすので全幹集材とし、トラツク掛で玉切りをする。)、順序、終了時期について決定指示するとともに、トラツク掛における檜材の玉切りについては梶原製材所から派遣した同製材所の従業員(今津)の指示に従つて玉切作業をするよう指示した。」と改め、同八行目の「方法」の後に「並びに労働時間」を、同九行目の「亡江田」の前に「前記トラツク掛での玉切作業を除き、」を加える。
7 同一五枚目表六行目の「まかなわれ」を「賄われ」と訂正し、同行目の「<証拠略>」の前に「原審」を加える。
8 同一五枚目裏一〇行目から同一六枚目裏八行目までを削除する。
9 同一六枚目裏一一行目から同一九枚目裏一行目までを次のとおり改める。
「1 労災法において保険給付の対象となる「労働者」(同法一条)の定義に関する規定は存在しない。しかし、同法が労働基準法第八章「災害補償」に定める各規定の使用者の労災補償義務に係わるものとして労働者保護のため使用者全額負担の責任保険として制定された経緯に鑑みると、同法上の「労働者」概念は労働基準法上の労働者概念と軌を一にするものと解するのが相当である。しかして、労働基準法九条によると、同法上の「労働者」は、職業の種類を問わず、同法八条所定の「事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者」と規定されているところ、これは要するに使用者との使用従属関係の下に労務を提供し、その対価として使用者から賃金を得る者を指すものと解すべきである。このような使用従属関係の有無は、使用者とされる者と労働者とされる者との間の契約関係の実態を直視し、その契約関係の締結経緯、履行状況(とくに指揮監督関係の存否・内容)、時間的、場所的拘束性の有無・程度、業務用機材の負担関係、使用者の服務規律の適用の有無、報酬の性格、課税関係、その他諸般の事情を総合考慮して、その実態が右にいう使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによつて判断するのが相当である。ところで、山仙頭の山林作業に従事する形態は、木材市場の前記の如き合理化・近代化に伴い、従来の同輩者中の第一人者的地位にとどまる者から一部独立の事業主として請負業化している者まで幅広く出現しているところであり、その労働者性の判断に当つては、個々の事例ごとに右にみた観点に従つてその判断をなすべきである。
2 右のことを前提に本件をみるに、亡江田は、昭和五〇年頃から大型の機械装置である集材機を複数セツト所有し、グループ員を率いて特定の製材業者や森林組合の輩下に就くことなく、永年集運材作業を専門に行い、一時に複数の製材所から注文を受けて集運材作業に従事することもあるなど右作業の具体的現場では亡江田がグループ員の指揮監督に当り、グループ員に対する労賃も依頼主から支払われる報酬の中から自己の管理下においてこれを一定の基準に従つて支払い、自らは昭和五一年以降個人事業主として事業税を申告、納付してきている事実が認められる。かかる事実に照らすと、亡江田は梶原から本件山林作業の依頼を受けた昭和五五年当時、すでに日田地方にみられる同輩者中の第一人者的地位にある山仙頭の立場を超えて、自らグループ員を雇用する一個の独立した事業主としての地位を有していたものと認めるのが相当である。
そこで、本件山林作業について、梶原と亡江田との間に使用従属関係があるかどうかについてみるに、前記事実によれば、梶原は、知人の紹介により初対面の亡江田に対し、本件山林の伐採、集運材、玉切りの各作業一切を一括して報酬五〇〇万円、作業着手時期昭和五五年八月一日、同終了時期同年一二月三〇日の約定で依頼し(その後、右両者間の合意により右作業のうち伐採作業については伐採専門の山仙頭の二つのグループが行ない、その報酬は右五〇〇万円から支払い、その残額を亡江田が取得することに改めた。)たものであり、亡江田は、右作業の開始にあたり、梶原から、集運材について集運材用架線の設置位置及びその張り方、集運材の方法、順序、終了時期の、また、檜材の玉切りについて玉切作業をする場所、方法の指示を受けたことが認められる。
しかしながら、集運材についての梶原の右指示は、前記の契約の内容とその後の作業状況からみると、製材業者である梶原が山林作業を注文するについて、製材用素材の効率的な生産と災害防止の観点から受注者に対して基本的事項を指示したに過ぎないものと考えられること、亡江田は、集運材作業について、自己所有の集材機を使用し、その油代等の諸経費はすべて自己が負担し、また、亡江田は、作業にあたるグループ員を自ら雇入れ、その出勤及び労働時間等の管理をし、右グループ員に対して作業の指揮監督を行い、他方、梶原は、右グループ員の雇入れ、その出勤及び労働時間等の管理や作業現場における作業の手順、方法等について何ら関与していないこと、もつとも、梶原は、本件作業現場に今津を派遣していたが、同人は集運材作業については専門外であつて、亡江田の集運材作業を指揮監督できる立場にはなかつたこと、右グループ員に対する賃金は、亡江田が梶原から受領した報酬から一定の基準に従い、自己の計算において支払つていること、そして、亡江田自身の収入は、梶原から受領した報酬から右の諸経費及び賃金を控除した残額であつて、亡江田の出勤や労働時間等に応じた報酬ないし対価といえるものではなく、また「アゲグロ」の慣行を充分考慮しても賃金とはいい難いこと、梶原は、亡江田の死亡後、新たに亡江田のグループ員と雇用契約を締結し直しており、このことは右梶原が亡江田を当初から右グループ員の使用者と認識していたことを物語るものであること等に鑑みると、前記集運材作業について、梶原と亡江田との間に梶原を使用者とし亡江田を労働者(労務の提供者)とする使用従属関係があつたものとは到底認められない。次に、玉切作業についての今津の前記指示は、前記契約の内容と後記の事情からみて、梶原が亡江田から労務の提供を受けるについての今津の指揮監督というよりも、製材業者である梶原にとつてはどの部分をどの長さで切断(玉切り)するかということが商品価値に重大な影響を及ぼすので、集運材及び玉切作業の注文者である梶原が受注者である亡江田に対してした作業内容に関する指示の域を出ないものと認められること、右玉切作業は、亡江田の受注した集運材作業に引続く作業であり、玉切作業に至るまでの集運材作業は前記のとおりすべて亡江田が所有する集材機を使用し配下のグループ員を自ら指揮監督してなした作業であつて、梶原や今津の指揮監督の下になされた作業ではないこと、亡江田は、集運材作業及び玉切作業全体を包括して一定の工期、金額で受注しており、玉切作業のみを切り離して受注したものではないこと、亡江田及びその配下のグループ員が今津から指示を受けて檜材を切断する玉切作業は、一日ないし数日がかりでトラツク掛に運ばれてきた穂付丸太の檜材が一定量に達したとき、随時、行われるものであり、その労働時間は集運材の作業時間に比較すると極めて短時間で、作業も単純であり、しかも亡江田の受注した山林作業の全体からみるといわば付随的なものであつて、今津の右指示が亡江田の受領する前記報酬の性格を賃金に変化させるほどのものではなく、また梶原が右玉切作業に使用するチエンソーの油代を負担していることを考慮しても右報酬が賃金にあたるものとは認め難いこと、梶原は、亡江田の死亡後、前記のとおり亡江田のグループ員と新たに雇用契約を締結し直していること、亡江田の本件死亡事故は、亡江田の指揮監督の下になされていた集運材の作業中に発生したものであること等に鑑みると、前記玉切作業について、梶原と亡江田との間に梶原を使用者とし亡江田を労働者(労務の提供者)とする使用従属関係があつたものとは認め難いし、前記集運材作業と玉切作業全体を包括してみても右使用従属関係があつたものとは認められない。むしろ、前記事実によれば、梶原と亡江田とは、梶原を注文者、亡江田を請負人として、亡江田が本件山林の杉材及び穂付丸太の檜材をトラツク掛まで集運材し、同所で右檜材の玉切りをして右仕事を完成させ、梶原が右仕事の完成に対し前記の報酬を支払うことを内容とする請負契約を締結したと認めるのが相当である。他に、亡江田が本件集運材作業及び玉切作業について労働者にあたると認めるに足りる証拠はない。
そうすると、亡江田は本件集運材作業について梶原や今津の指揮監督を受ける労働者であり、仮にそうでないとしても玉切作業について今津の指揮監督を受ける労働者であり、ひいては右集運材及び玉切作業全体について労働者である旨の控訴人の主張は採用できない。」
10 同一九枚目裏六行目の「山仙頭が」から同八行目までを次のとおり改める。
「山仙頭の中には前認定のとおり労働者性を否定できない山仙頭も存在し、右給付のなされた山仙頭が亡江田と同様集材機を所有し集運材作業を専門に請負う山仙頭であつたことまでは本件全証拠によるも不明というほかないから、控訴人の右主張を採用することはできない。」
11 同二〇枚目表四行目の「事実が存し」から同五行目の「により認む)」までを「こと等があり」と改め、さらに同八行目の「べきである旨」の後に「、また請負業者となつた山仙頭は労働者ではないと同監督署が判断するに至つたのであれば、これは同監督署の従来の判断を変更したものであるから、同監督署としてはかかる判断の一方的な変更を関係当事者に直ちに周知徹底させるべきであるにも拘らず、何らそのための努力をすることなく永年にわたつて製材業者から山仙頭に関する保険料の徴収を行つていたことは不当である旨各」を加える。
12 同二〇枚目裏一二行目の「行つてきたこと」の後に次のことを加える。
「 (すなわち、被控訴人は山林作業のうち伐木作業に従事する労働者については、同労働者らが機械化された工具を使用するといつてもそれは比較的維持管理に軽微な費用しか要しないチエンソー等を使用する程度に過ぎず、その従事する作業はいまだ製材業者に対する関係では労働力のみを提供する労働者というにふさわしいものであり、その労災保険の申告、納付の手続は使用者である製材業者が行うよう指導していた一方で、集運材作業に従事する労働者のうち集材機、ワイヤー、ウインチ、労働者送迎用車両等の大型機械を所有し、かつ、自ら労働者を雇用して右機械類を使用しながら集運材作業を行う山仙頭については、自らが事業主となるものであつて、製材業者が山仙頭から右機械類を借り上げその維持管理費、損料等の一切を負担する場合は格別、そうでない限りは右山仙頭が事業主として自ら労災保険手続の申告、納付をするよう指導していた。)」
13 同二一枚目表四行目の「もつとも」から同二一枚目裏四行目までを次のとおり改める。
「また労災法に基づく保険給付を受ける権利は、労働者が業務上被災することによつて当然発生する権利であり(同法七条)、事業主が被災者のため予め保険加入、保険料支払等の手続を履践していたかどうかは直ちに右権利の発生に影響するものではない。本件において亡江田の死亡につき右保険金の不支給決定がなされたとしても、それは同人に「労働者」性が認められないことからくる当然の結果であつて、梶原が亡江田のため右保険加入及び保険料支払の手続を踏んでいたかどうかは直接右結論を左右するものではない。<証拠略>によると、梶原は亡江田の本件山林作業について昭和五五年七月二九日被控訴人あて一括有期事業開始届を出していることが認められるが、前記徴収法及び同法施行規則(昭和四七年三月三一日労働省令第八号)によると、昭和五六年当時本件山林作業のように伐採木材の材積数でその保険料が算定される場合(同法一一条三項)には、右一括有期事業開始届(同届には「使用労働者延人員(見込)」の記載欄がある。)が提出されるのみで労働者名簿の提出までは必要でなく、梶原が<証拠略>中で亡江田のため保険料を支払つていたと述べるのも、正確には梶原が「使用労働者」の一人として亡江田を考えていたというにすぎず、亡江田が労働者であるか否かを問わず同人について保険料が支払われていたと断ずることはできない。控訴人は、山仙頭の労働者性について労働基準監督署に一方的な判断変更があつたにも拘らず、その点を関係者に周知徹底させることなく製材業者から山仙頭に関する労災保険料を徴収し続けていたことの不当性を主張するが、前認定のとおり、山仙頭の実態の変遷、多様化に伴い山仙頭の中には一部請負業化した者の出現の事実を認識した労働基準監督署は、かかる請負業化した山仙頭に対して特別加入制度を利用するよう行政指導を行つてきたこともうかがえるのであつて、控訴人の前記主張は当らない。」
二 よつて、被控訴人のなした本件不支給決定には控訴人の主張するような取消事由は存在しないから、これと同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 山口茂一 綱脇和久 榎下義康)
【参考】第一審(大分地裁昭和五八年(行ウ)第一一号 昭和六一年二月一〇日判決)
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
被告が昭和五六年六月二九日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法にもとづく遺族補償年金及び葬祭料を支給しない旨の決定を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 訴外亡江田秋仁(以下「亡江田」という)は、製材所を営む梶原善一に雇用され、伐木運材の作業に従事していたが、昭和五五年一一月二五日、大分県日田郡上津江村上野川所在の尾ノ岳国有林(以下「本件国有林」という)において、伐倒木の搬出作業中斜面を転落し、脳損傷により同日死亡した(以下「本件災害」という)。原告は亡江田の妻であり、その死亡により遺族となり、同人の葬祭を行つた者である。
2 原告は、昭和五五年一二月五日、被告に対し、亡江田は業務上死亡したものである旨主張して、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という)に基づき、葬祭料及び遺族補償給付(以下「補償給付等」という)の請求をなしたところ、被告は、昭和五六年六月二九日、原告に対し、亡江田は労働者とは認められないとの理由で、右補償給付等の支給をしない旨決定した(以下「本件決定」という)。原告は右決定を不服として、同年七月一五日、大分労働者災害補償保険審査官に対し審査請求したが、昭和五七年二月八日、右請求を棄却する旨の決定を受けた。そこで原告は、更に同年三月一六日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、昭和五八年九月一日、再審査請求を棄却する旨の裁決がなされ、同年一〇月一八日、右裁決書謄本が原告に送達された。
3 しかし、亡江田は、次の各事実に照らすと、労働基準法(以下「労基法」という)九条、ひいては労災保険法上にいう労働者に該当するというべきであるから、亡江田が右労働者に該当しないと判断してなした本件決定は、事実を誤認し、あるいは法律の適用を誤まつた違法なものである。
(一) 亡江田は、昭和五五年七月二三日、梶原との間で、同人が行う本件国有林の山林作業のうち集材及び造材の作業を担当する契約(以下「本件契約」という)を締結したのであるが、
(1) 梶原は、右山林作業について亡江田を指揮、監督していたものである。すなわち、一般的にいつて、製材業者は、山林作業の現場で作業を指示監督しておかないと、労働者が作業能率だけを考えて作業するので、安全面に問題が出たり、何よりも製品の価値を損うおそれが生じるのである。特に造材については、製材業者の指示が絶対に不可欠で、造材方法いかんで製品価値に決定的な影響を及ぼすのである。そこで造材その他の山林作業の工程管理を山仙頭にまかせることはできず、製材業者が指示監督する必要が存するのである。本件契約にも、亡江田の山林作業について梶原の指示に従うべきことの約定が存するのみならず、実際に梶原は、本件作業現場に同人の被用者今津綱敏(造材の習熟者)を毎日のように派遣し、亡江田の山林作業、とくに造材について指示監督していたものである。
(2) 次に、本件契約によれば、本件山林作業で梶原が亡江田らに支払うべき賃金総額は金五〇〇万円という出来高一括払契約となつている。右の金額を決定する際には、梶原は、亡江田のみならず、亡江田と一緒に本件作業に従事した他の作業員三名をも含めて話しあつて決定したものであり、また、実際の賃金支払方法としても、作業終了後に全額が一括して支払われたわけではなく、各作業員の要求があれば、出来高の範囲内で随時支払つているのである。このように右作業員らの賃金については、亡江田が自ら決定し、自ら支払つたわけではなく、梶原と右作業員全員が話合いによつて決定し、梶原が支払つたものである。なお、予定期間内に作業が終了しなかつた場合には、日田地方の慣習に従つて、「アゲグロ」と称される割増金が支払われることになつているし、本件作業遂行に要する経費も前記一括支払金の総額に含ませる合意がなされており、また現実に梶原は右経費の一部であるガソリン代油代を出捐していることに照らすと、前記五〇〇万円を請負代金額ということはできない。
(3) 更に、亡江田は、集材機械を保有し、これを使用して本件山林作業を行つてきたが、右機械は中古品を金三一万円相当で入手したにすぎず、また江田死亡後は、同人の債権者に対し、金三〇万円に評価されて代物弁済されたにすぎないから、同人が高価な機械を所有していたとはいいがたい。
(4) 本件の労災保険加入の手続等は、被告の行政指導に従つて行われたものである。すなわち、被告は、労災保険法制定時から、日田地方の製材所に対し、山仙頭を含めて山林労働者については、製材所が使用者としてこれらの者の労災保険加入手続をするように行政指導を行なつてきた。それで原告の雇用者である梶原も、被告の右行政指導に従つて、亡江田及び前記作業員らについて労災保険の加入及び保険料の支払いを行つており、被告は右につき何の問題も指摘してこなかつた。しかも、被告は、かつて本件同様の山仙頭の労災事故について労災保険金を給付した前例が二、三存する。
4 以上のとおり、被告のなした本件決定は亡江田についての労働者性の認定判断を誤つた違法なものであるから、請求の趣旨記載のとおり取消を求める。
二 請求原因に対する認否と被告の主張
1 認否
(一) 請求原因1の事実のうち、亡江田が梶原に雇用されていたことは否認する。原告が亡江田の葬祭を行つたことは知らない。その余の事実は認める。
(二) 同2の事実は認める。
(三) 同3の亡江田が労基法九条に規定する労働者に該当する旨の主張は争う。
同(一)の事実のうち、冒頭の事実及び(3)の事実中亡江田が集材機械を所有しこれを使用して本件山林作業を遂行していたことは認める。同(4)の事実中保険金給付例については知らない。同3のその余の事実ないし主張は否認ないし争う。
2 被告の主張
(一) 大分県日田地方における山林労働―いわゆる「山仙頭」の労働者性について
同地方における山林作業は、「山仙頭」と呼ばれる者を中心とした数人のグループを単位として行われてきた。山林作業が機械化される前の肉体労働が主力を占めた時代には、この山仙頭は、グループの単なるリーダーであつて、他の山林労働者を雇用する者ではなかつたが、山林作業の機械化がすすむにつれ、山仙頭の中には自ら機械類を所有して山林労働者を雇用する者が出現した。すなわち山林作業の機械化は、まず製材業者が機械類を購入して山林労働者に使用させるという形で始められたが、製材業者側は機械類を自ら所有し、維持することが非能率だつたことから、積極的に右機械類を山仙頭に対し払い下げるようになつたものである。このようにして製材業者が山林の伐木、集材作業から手を引き、山仙頭のうちからこれに代わる者がでてきた。また他方、従来は製材所等が山林作業全体を一貫して行つていたのに対し、森林組合や木材市場により、そのうちの伐木、集材作業のみをその直営で行う形態も出現してきて山仙頭のうち自ら機械類を所有しない者がこれら森林組合等に直接雇用されるという形態も現われた。
このような山林労働の変遷の中にあつて、今日、山仙頭といわれる者が山林事業に従事する形態は多様化を示しており、山仙頭の労働者性は、個々のケース、個々の実態に応じて判断されねばならなくなつた。
(二) 亡江田の労働者性について
(1) 亡江田は、昭和五〇年ころ、約金五〇〇万円で集材機械類を購入し、自らが雇用した労働者を使用して集材作業を請け負うようななり、雇用した労働者には、日給に各労働者の延出勤日数(出星、又は出面)を掛けたものを月二回に分けて支払い、右賃金や機械の油代等の経費を差し引いた残額が亡江田の実収入となつていたものである。
(2) 本件災害時の作業形態は次のとおりであつた。
(イ) 本件災害が発生した本件国有林については、梶原が、昭和五五年六月一九日、菊池営林署から落札した。亡江田は、同年七月二三日、梶原から同国有林(約一二〇〇立方メートルの杉、檜)の伐木、集材作業を一括金五〇〇万円で請負つたものの、そのうちの伐木作業については、梶原に対し、川村勝亀外のグループを紹介した結果、右作業は同グループによつて遂行されることとなつた。したがつて、亡江田と梶原間の右請負契約は集材、運材のみに関するものとなつた。
(ロ) そして、亡江田は、本件集材作業を開始するにあたり、四名の作業員を自ら雇用し、前記の高価な集材機械を右作業員らに使用させて作業を行わせ、右作業の指揮、監督も自ら行つていたものである。
(ハ) 更に、亡江田は、右作業員らの賃金を前記基準にしたがつて自ら決定し、これを支払うと共に、本件集材作業の遂行に伴う油代等の諸経費も、自らの責任で支出していた。
(ニ) 要するに、亡江田と梶原との間に締結された本件契約は、亡江田が一括して受取る金員から、同人の責任において雇用した配下の作業員に支払つた賃金その他必要経費を控除したその残額をもつて、同人の収入とするという内容のものであつて、結局その事業の危険は亡江田が負担するという型態であつた。
(3) その他労働者性を否定すべき次のような事実も存する。
(イ) 亡江田配下の作業員は、使用者が亡江田であり、同人から賃金の支払いを受けていたという認識を有していた。
(ロ) 亡江田は、本件災害当時、本件現場のみならず、他の製材業者等の山林作業の現場をもつていた。
(ハ) 亡江田は、個人企業の事業主として、自ら事業税の申告、納付をもしていた。
(三) 以上に照らすと、亡江田は、四名の作業員を雇入れ、機械も保有して各地の製材所等から集材作業を請負う事業者であつたというべきであるから、同人を労働者と認めなかつた本件決定は正当というべきである。
第三証拠 <略>
理由
一 亡江田が、昭和五五年一一月二五日、本件国有林において、伐倒木の搬出作業中斜面を転落し、脳損傷により同日死亡したこと(本件災害の発生)、原告が亡江田の妻であること及び請求原因2の事実はいずれも当事者間に争いがない。
二 そこで亡江田が労災保険法の適用を受ける「労働者」に該当するか否かについて検討する。
<証拠略>によると次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 大分県日田地方の山林作業の実態と変遷
(一) 同地方における山林立木の製材までの作業は、かつては製材業者が一貫してその作業全体、すなわち立木の伐木、搬出(集材、運材)、製材(造材)の各作業を行つてきた。右山林作業は「山仙頭」と呼ばれる者を中心とする数人のグループを単位として行われていた。山林作業が機械化される以前の肉体労働が主力を占める時代には、この山仙頭は、グループの単なる世話人で、いわば同輩者中の第一人者として責任代表者的身分にあつて、事業主である製材業者の指示に従い現場の作業に従事すると共に、製材業者との交渉、労務賃金の受領、配分、その他の雑用的用務を処理していた。この時期の賃金の算定は、一般に日田地方の山林労働者の日給を基準にして作業場所や立木の樹齢等により作業量を予測し、これらから一立方メートルあたりの単位を定め、その共同の出来高により算定する方法がとられていた。もつとも、山林作業終了時、延作業日数や総実費と当初約束の賃金を比較して、作業量の見込み違いや天候不順、現場の地形等思わぬ事態によつて総実費が著しく過大となつた場合には、更に賃金総額の上積み(「アゲグロ」と称された)が行われ、これをグループの作業員全員で分配する慣行であつた。
(二) その後、昭和三〇年代後半から昭和四〇年代に入つたころから、山林作業の機械化が進展し、まず事業主である製材業者が機械類を購入して山林労働者に使用させていたが、逐次製材業者側においてコスト意識が高まり、機械類の維持、管理費用を低減させる手段として、右機械類を資力のある山仙頭に払い下げることが積極的になされた。このころから森林組合直営の素材(原木)市場が形成されはじめ、生産者である組合自ら伐木、集運材作業を行うようになり、製材業者は市場から原木仕入れをするのが主流化するなど、木材の流通過程に変動を生じ、そのため製材業者のうちには、伐木、集運材、搬出作業から撤退し、製材業のみに専念する業者が増加する一方、森林組合が右伐木搬出作業等を請負に出す形態も多くなり、これらの請負業の需要が生じたことと相まつて、山仙頭のうちには、機械類の払い下げを受けてこれを保有、使用し、山林作業特定部門につき、製材業者や右組合から独立して自ら事業主として作業を行う者が出現してきた。なお、機械類を保有しない山仙頭の内には、従来どおり製材業者や森林組合に直接雇用される者もいた。
2 「山仙頭」としての亡江田の作業形態等について
亡江田は、本件災害時まで約二五年間にわたつて、山林作業のうち集運材作業を専門に、当初山仙頭長沢武について、次いで、昭和四六、七年ころ、長沢の地位を引き継いで自ら山仙頭として、概ね同一製材所の山林作業に従事してきた。しかし、昭和五〇年ころ、中古の木材運材用索道機一式(以下「集材機」という。チエンソーのような単なる手工具的機器ではなく、相当規模の機械装置であり、これを新たに購入すれば金五〇〇万円を下らない費用を要する。ただ、原告は、本件災害後である昭和五八年一月二〇日ころ、右機械を金三〇万円で処分した。)を購入して以後は、これを使用して、石井守ら四名の山林作業員と常時グループを組んで(むしろ、これら四名がいつも行動を共にし、仕事があれば亡江田と結び付く形で「江田組」が形成される。)、集運材作業に従事した。右の他のグループ員は誰も集材機を保有していない。右グループ員に対する賃金は、通常、亡江田において、同人が作業依頼主から作業量に応じて一括して受領した金員の中から、日給及び延稼働日数(出星)に基づいて計算して支払つていた。なお、亡江田は、従前は同じ製材所の作業に従事していたが集材機を保有するようになつてからは、特定の製材所に所属してそこの作業のみに従事するのではなく、依頼に応じて複数の製材所の集運材作業をするようになり、本件現場作業従事中の昭和五五年一〇月ころも、大分県湯布院地方の他の業者の搬出作業を請けており、この現場は、グループ員の一人である石井良之助に任せた形で、時たま顔を出す程度であつた。また、遅くとも前記集材機購入後の昭和五一年以降は、亡江田は、運材業の個人請負業として事業税の申告をし、納入してきている。
3 本件山林作業について
(一) 製材所を営んでいた梶原は、昭和五五年六月一九日、本件国有林の払い下げを受けた際、知人から山林作業に関して亡江田の紹介を受けた。梶原は、亡江田とは初対面であつたが、同人に対し、同年七月二三日、右国有林のうち杉、檜合計六二五八本の伐採、集運材作業を、対価一括五〇〇万円、作業の着手時期同年八月一日、終了時期同年一二月三〇日の約定で依頼することとした。ただし、その後伐採作業については亡江田の紹介により、他の伐採専門の山仙頭二グループが行うことになつたため、結局、亡江田は、集運材作業のみを、前記五〇〇万円から右二グループへの支払分(梶原が直接支払う)を差し引いた残額をもつて担当するところとなつた。
(二) 亡江田は、昭和五五年八月一日前記他の二グループによる伐採が開始され、それが終了後、伐木の集運材作業を開始した。右作業は亡江田の保有する集材機を用いて、同人のほか「江田組」と称される前記四名のグループ員らによつて遂行された。なお、梶原は、江田組の各グループ員それぞれの傭入れについてはなんらの関与をしておらず、同人らはいずれも亡江田の責任において傭入れたものである(<証拠略>中右認定に反する部分は措信しない)。
(三) ところで製材業者は、集運材の計画(搬出方法―全幹集材か玉切集材か、張る架線数、位置等)、造材(玉切)の方法いかんが製品コスト、製品価値に決定的な影響を及ぼすことになるし、災害防止の観点からも、作業現場において、山仙頭に対し、右の各点については自ら指示するのが一般であつて、その意味で伐木から搬出までの現場作業一切を山仙頭に委ねるわけではなく、特に造材の方法については、それ自体が製品価値に直結していることから、現場で細かい指示を与えるのが通常である。梶原は、製材業者として、本件集運材作業について上記の観点にたち、本件国有林の地形、切り出し予定の立木の種類、その範囲等を考慮したうえ、亡江田に対し、集運材用架線の設置位置及びその張り方、集運材の方法(全幹集材)、順序、終了時期について決定、指示した。しかし、集運材現場における具体的な作業手順、方法等については、亡江田がグループの作業員を指揮監督し、梶原はこれらの点について具体的に関与することはなかつた。
そして、亡江田は、個々のグループ員の出勤の確認及びその記録等作業管理について自ら行うのみならず、各グループ員の賃金も、自ら梶原に対し集運材作業の出来高に応じて一括して請求し、これを受領した上、日給及び出星に従つて計算し、月二回に分けて同人らに支払つていた。これに反し、亡江田の取り分については、一日いくら等の定めはなく、また同人保有の集材機に要する経費(油代、維持費、償却費等)は同人の取り分によつてまかなわれていた(<証拠略>によると、梶原が油代等を支弁したことが認められるが、これらはいずれも伐木、造材に関するものである。)
(四) 亡江田死亡当時、伐倒木の集運材作業はなお未了の状態にあつたところ、梶原は、同年一二月二日、右作業完成のため、石井守ら亡江田グループ員であつた四名を、索道器具を点検すること、作業時間は従前通りとすること、日給一人金七〇〇〇円とすること及び他に乗用車手当及び油代等を支給すること等を条件として、改めて日当制で直接雇入れ、本件国有林の集運材作業を継続完了させ、賃金も出勤日数に対応して右各人に支払つた。なお、梶原としては、亡江田死亡時点において、当初の亡江田、梶原間の本件契約は終了したものとして、右各グループ員を雇入れたものである。
以上の事実が認められる。
もつとも、原告は「事業請負契約書」と題する書面(<証拠略>)に、「伐木、造材、索道、トラツク掛まで集材し、甲(梶原)の指示に従うこと」との記載があることを根拠として、亡江田が造材作業をも担当していた旨、及び梶原が本件事故の原因となつた集材作業をも指揮していた旨を主張しているが、前記認定の各事実にも照すとき、右文言から直ちに、亡江田が造材作業も行うものであることや、集材作業について具体的指揮監督を受けていたものと認めることはできない。
また、原告は、梶原はその従業員今津綱敏を何十日間も本件作業現場に派遣して、亡江田らの行う本件山林作業全般の指示監督に当らせた旨主張し、<証拠略>によると、梶原は、今津を、昭和五五年八月一日以降本件災害発生までの間、月のうち三日ないし一五日間本件作業現場に派遣し、同人は本件災害発生当日も災害発生現場に居あわせたことが認められる。しかし、他方右各証拠によると、今津は造材の熟練工であつて、作業現場においては造材の方法について指揮する職務を担つていたこと、同人は集運材作業については専門外のことで、亡江田の方が熟練しており、同人や同作業を指揮できる立場になく、造材作業のないときに亡江田の作業を手伝つていたにすぎないことが認められるので、今津が、本件現場に度々派遣されていたことや、本件災害時に居あわせたことをもつて、同人ひいては梶原が亡江田の山林作業を指揮していたとすることはできない。
三 以上の事実関係に基づき亡江田の「労働者」該当性について判断する。
1 労災保険法の適用を受ける「労働者」の意義につき、同法に明文の規定はないが労基法に規定する「労働者」と同一のものをいうと解されるところ、同法九条には、「労働者とは、職業の種類を問わず、(労基法の適用を受ける事業に)使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」と定義されている。右は結局のところ、使用者との支配従属関係の下で労務を提供し、その対償として使用者から賃金の支払を受ける者と解される。
ところで、山仙頭と呼称される者が山林作業に従事する形態は、前記認定のとおり、木材市場の合理化、近代化に伴い山林作業の請負業態のものも多く出現するようになり、近時著しい変遷がみられ、従来の同輩者中の第一人者的地位を有する者から独立の事業主たる地位を有するものまで多様化しているところであり、山仙頭の労働者性判断にあたつては、これを一律に決することはできず、個々の事例に基づき敍上の観点から判断すべきことになる。
2 本件においては、前認定のとおり、亡江田は、単なる手工具的機具ではなく、相当高価でかつかなりの機械装置である集材機を保有、使用し、その指揮下にある山林作業員ら数名と共に、複数の製材所等の依頼を受け、集運材作業を専門に山林作業に従事してきたものであり、右集材機を保有するのはグループ員中亡江田だけであり、作業の代償も亡江田が一括して依頼主から受領し、一定の配分基準に従つて各作業員に賃金として支払い、事業税も亡江田の名で申告、納付していたというのである。そうすると、亡江田は、同一グループ内の他のグループ員との関係では、日田地方の慣行上の責任労働者的地位、すなわち同輩者中の第一人者的地位を超えて労務者というべき他のグループ員らとは一線を画した地位を有していたものと認めることができる。
他方、前認定の事実によると、亡江田と梶原間の本件契約は、杉、檜等の伐木の集運材を一定の金額を代償として、一定の期間に完成させることを目的とし、亡江田の保有する集材機を用い、必要とする作業員は、日頃からグループを組みその配下として使用してきたグループ員を、亡江田が自らの責任において雇入れ、後述の梶原による依頼主としての作業方法の指示等を除いて、具体的な作業手順、方法も亡江田の裁量に委ね、同人がグループ員を指揮監督して右作業を行わせ、自らもまたそのグループ員も、直接梶原から具体的な指揮監督を受けることはなかつたし、グループ員に対する賃金も支払い、集材機の経費も自ら負担するという内容のものであつたし、そのとおり履行されたというのである。もつとも、前記二、3、(三)に認定のとおり、梶原は、亡江田に対し、集運材用の架線設置位置及び張り方、集運材の方法、順序、終了時期等について決定、指示している事実が存するが、これは、災害防止や効率的な素材生産に重大な関心を有する製材業者が発注者としての立場上当然なすべき注文であり、作業全体のいわば工程、管理に関する事柄であり、契約条件ともいうべく、右事実をもつて、亡江田が本件山林作業において梶原に指揮監督されたものとすることはできない。
3 以上の事実に照らすと、亡江田が梶原との関係で使用者、被傭者としての支配従属関係に立つていたとはいえない。また、亡江田の収入も、梶原から受領する代償としての総金額から各グループ員に支払う賃金や諸経費を差し引いた残額が、これに相当し、常に一定額や一定割合により所得、収入が存するわけではなく、その危険負担を伴うもので、この収入を賃金とみることは到底不可能である。そうすると、本件で亡江田を労働者とみることはできない。却つて、本体においては、亡江田の本件山林作業の指揮監督の状況や賃金の支払関係、さらには、自ら事業主体として事業税を納付していた事実等に照らすと、いわゆる「アゲグロ」と称する割増金追加支給という慣行を考慮にいれてもなお、亡江田は、本件山林作業を自らの責任において実施していたもので、独立の事業主とみるのが、相当である。
四 右のとおり本件において亡江田を労働者と認めることはできないから、同人に対する労災保険金の支給はできないものと解される。
なお、原告は、亡江田同様の山仙頭について過去に労災保険給付がなされた例が二、三ある旨主張するが、山仙頭が必ずしも労働者性を有しないことからすれば、原告の右主張は前提を欠くもので採用できない。
五 被告らの行政指導について
梶原は、労災保険法施行以来本件災害時までの長い間、同人が使用してきた山仙頭につき、すべて自らを事業主として労災保険に加入してきており、亡江田の本件山林作業についても、昭和五五年七月二九日、日田労働基準監督署長あて一括有期事業開始届を提出し、その際添付した労働者名簿に亡江田も記載届出していること及び亡江田が各所で山林作業した際も、同様に依頼主が同人のため労災保険料を納付していた事実が存し(<証拠略>等により認む)、原告は、右は被告や被告の属する日田労働基準監督署が、従来から山仙頭を使う日田地方の製材業者に対して行つてきた行政指導に副うものであるから、労災制度上亡江田は労働者として取扱われるべきである旨主張する。<証拠略>によると、たしかに、被告は、労災保険法施行当初から日田地方の製材業者等事業主に対し、所論のように労災保険に加入すべきことを繰り返し指導し、その加入を推進していたこと、しかし、被告らは、前述の同地方の山林作業の実態の変遷に伴つて、山仙頭について実情に応じた労災保険の適用をも指導するに至り、昭和四〇年に一定範囲の事業主に対する「特別加入制度」の創設(現行労災保険法二七条ないし三〇条参照)に伴い遅くとも昭和五〇年ころから、市町村広報や被告関係の機関紙、あるいは被告開催の説明会において事業主化した山仙頭につき同制度の利用を勧める行政指導を行つてきたこと、その結果同地方の山仙頭の中にも右特別加入制度を利用する者も出てきたことが認められるのであり、山仙頭の労災保険加入について、被告がことさら所論のような形態のみを指導するような行政指導をしたとは認めがたい。もつとも、亡江田は、依頼主の梶原が自己のため労災保険に加入してくれているため、後顧の憂もなく本件作業に従事し、梶原も従前どおりそうすべきものとして右加入手続をとつたものと推測されるし、<証拠略>に照らすと、被告の行政指導が雇傭か請負か困難な問題を含む山仙頭の労災加入につき、その実態の変遷に対応した十分徹底したものがなされたか疑問を感じざるをえず、亡江田もその挾間に立たされて不利益な結果を甘受させられたのではとの疑念も存する。しかし前判示のとおり、その実態に照らし、亡江田に労働者性が認められない以上、たとえ依頼主が山仙頭である亡江田を自らの被傭者として労災保険に加入し、保険料を支払つてきた事実があつたとしても、労災保険上同人を労働者として取扱いえないことはやむをえないことである。
六 以上の次第で、亡江田が労働者でないと判断した本件不支給決定には何ら認定、判断の過誤、違法はない。
よつて、右決定の取消を求める原告の被告に対する請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 川本隆 岡部喜代子 小久保孝雄)